これは強迫症の症状ですか?

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  • このトピックには5件の返信、1人の参加者があり、最後に矢野宏之により1年、 4ヶ月前に更新されました。
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    投稿
  • #2980
    蒼灯
    ゲスト

    以前の掲示板を利用させてもらっていた強迫症当事者の者です。またお世話になります。よろしくお願いします。
    いくつかどうしてもわからないことがあるのでお答えいただけるとありがたいです。

    ・それまで毎日続けていた強迫行為が、ある日ふと「もうこれしなくてもよいのでは?」とあっさりやめられそうになります。
    これはどういう状態なのでしょうか?
    自分で考えられる範囲だと一日ではとてもフォローできないレベルの確認行為になってしまい「やりたくない」という気持ちが強いからなのかだとか逆にある程度強迫行為になれてきたからとは思うのですが…。
    これまで何度かあったのですが、正直いきなり「やめても大丈夫」という気持ちが大きく出てきても自分自身では消化しきれずひたすら気持ち悪くてまたいつものように確認行為をして戻ってしまいます。
    このようなことはよく起きることなのでしょうか?

    ・自分の強迫観念を分析してしまいます。
    きっかけや変遷だとかをすべて理解していないと頭の中が混乱してきてしまい、ノートにまとめて理解できるとすっきりして安心するという流れを一ヶ月に何度か行うというパターンをずっと繰り返しています。
    こういった行為も強迫行為に含まれますか?

    ・曝露に挑戦した際の話なのですが、「強迫行為をしない」を選択したとたんに猛烈に寂しさのような感情が浮かんできて、気持ち悪くて落ち着かない時や名残惜しさを感じる時がありました。
    まるで強迫行為をしたいかのような気持ちでさすがに訳がわからなくて困りました。こういったこともよくある話なのでしょうか?

    元々白黒つけようとする性格なのですが、強迫症を患ってからさらにひどくなったようで、調べてもわからないとこれは何?と考え続け、もしかして自分の症状は強迫症ではないのではないのか、じゃあ何なのだろうだとかいつまでも考え続けてしまいます。
    考えても仕方のないことだとは思うのですが返信のほどよろしくお願いします。

    #2997
    公認心理師:矢野宏之
    キーマスター

    >それまで毎日続けていた強迫行為が、ある日ふと「もうこれしなくてもよいのでは?」とあっさりやめられそうになります。
    これはどういう状態なのでしょうか?

    こういうことはあまり起きないとは思います。
    ただ、その次に続く内容をみてみると、結局のところ、強迫行為をしているので、結局は「やめてもいい」と思ったけれど、やめていないということになるのかなと思います。

    例えば、一般的な洗浄強迫の方で曝露をしていて、『あ、後で洗えばいいか』とふと気づくと、その時点でふっと楽になるということはあります。でも、これは本質的な解決にはなっていないのですが、その場では楽にはなります。

    >・自分の強迫観念を分析してしまいます。

    強迫症には、不確定性への非耐性という中心的な症状があり、曖昧なことをはっきりさせたいという衝動に駆られるのです。そのため、このように「全てを理解していないともやもやする」という現象がおきます。
    これは、強迫行為になります。

    >・曝露に挑戦した際の話なのですが、「強迫行為をしない」を選択したとたんに猛烈に寂しさのような感情が浮かんできて、気持ち悪くて落ち着かない時や名残惜しさを感じる時がありました。

    強迫症の方にとって苦しい感情は色々あります。例えば、『手を洗っていないと不安』『手を洗っていないと、なんか嫌だ』『人を傷つけてしまったかもしれないという罪悪感』等色々あります。「寂しさ」に関して言うと、強迫症から分離された病気として「ためこみ症」という強迫症関連疾患があります。ためこみ症はものが捨てられないという病気ですが、捨てようとすると強烈な寂しさが襲ってきます。
    そのため、「寂しさ」が強迫観念の感情として出てきてもおかしくはないです。
    ただ、典型的ではないので、その部分、何か別の心理的要因が絡んでいるのかもしれません。

    >調べてもわからないとこれは何?と考え続け、もしかして自分の症状は強迫症ではないのではないのか、じゃあ何なのだろう

    蒼灯さんのような症状は、メタ強迫症と呼ばれたりします。
    自分の症状が強迫症に該当するのかどうか?という疑問がずっと続いたりするような状態です。一定数、いらっしゃいますよ。

    #3054
    蒼灯
    ゲスト

    返信いただきありがとうございます。こちらの返事の方はまた改めてさせてもらいたいと思います。

    取り急ぎ別の質問になるのですが、最近とても困っていることがあり、何か助言が欲しいので書き込ませてもらいます。

    自分の強迫行為は、一言でいうと行動したら何でもメモをとってしまうというものです。
    ですが、もっと厄介なのは、それをもう一度清書しなければならないと毎日毎日ノートに書きうつしていることです。時間もかかり、そのせいか最近他のことがどんどん手付かずになってきています。

    清書しなければ…と思うのは、メモではあまりきれいとは言えず後で見直した際に読めないとどうしようという気持ちと見直す際にバラバラに置いていると、本当にその日のメモなのか疑ってしまうのが嫌で一冊にまとめておきたいからです。

    今まで手短に書こうだとかメモがあるのだからやめようだとか考えたりするのですがなかなか踏み出せません。
    正直メモを書いてしまうぐらいは、まだそこまで苦痛ではないのですが、この清書作業は辛くて…。

    このような場合は曝露となるとどのように行えばよいのでしょうか?

    #3058
    公認心理師:矢野宏之
    キーマスター

    この場合の曝露は、メモにデタラメを書いていくということが曝露になります。
    例えば、手を洗ったのに、脚を汚してしまった とか、そういうでたらめなことを書いたりします。
    そして、メモを書いたら、捨てるということもやっていくと良いと思います。
    おそらく、「保存する」ということが強迫行為になっているので、「手放す」という事が曝露になると思います。

    #3074
    蒼灯
    ゲスト

    返信いただきありがとうございます。返事が大変遅くなってしまいすいませんでした。色々と勉強になりました。
    以下は返信になります。

    >それまで毎日続けていた強迫行為が、ある日ふと「もうこれしなくてもよいのでは?」とあっさりやめられそうになります。
    これはどういう状態なのでしょうか?
    >こういうことはあまり起きないとは思います。
    ただ、その次に続く内容をみてみると、結局のところ、強迫行為をしているので、結局は「やめてもいい」と思ったけれど、やめていないということになるのかなと思います。

    →書かれている通りです。朝起きて何故か今日は強迫行為しなくてもいけるような気がする…とまではいくのですが、その場面になると“一応”しておこうと強迫行為を結局はしてしまっています。
    結局、単にその日の体調しだいという話なのでしょうか?。
    その時の勢いでやめられたらいいのですが簡単にはいかないです。

    >・曝露に挑戦した際の話なのですが、「強迫行為をしない」を選択したとたんに猛烈に寂しさのような感情が浮かんできて、気持ち悪くて落ち着かない時や名残惜しさを感じる時がありました。
    >ためこみ症はものが捨てられないという病気ですが、捨てようとすると強烈な寂しさが襲ってきます。
    そのため、「寂しさ」が強迫観念の感情として出てきてもおかしくはないです。
    ただ、典型的ではないので、その部分、何か別の心理的要因が絡んでいるのかもしれません。

    →自分としては完璧主義が空回りしてるのかなと思っています。
    やめようとした際に、完璧にできなくてよいのか?だとか今日は上手くいくかもしれないよ?とよぎったので。

    最近は、この完璧主義の方がひどくてきちんと強迫行為の儀式ができているかにこだわってしまっています。
    こうした完璧主義のようになることもあるのでしょうか?

    毎日毎日色々な方法を考えては、儀式の修正をして何とかしてでも続けようしている自分とやめたい自分が頭の中で格闘を続けているかんじです。
    しんどいのに完璧にはしたいと思うのでただただ辛いです。

    長々とすいません。回答のほどよろしくお願いします。

    #3075
    矢野宏之
    ゲスト

    >結局、単にその日の体調しだいという話なのでしょうか?。

    体調とかは、関係しているとは思います。
    感覚的な話なのですが、強迫症の方は、強迫観念が強迫症の本体のように思っている方が多いと思うのです。
    実際は、強迫観念より前に、身体的にざわざわしていることが多く、それが強迫観念を勝手に拾ってくるという感じが本当なのだと思います。

    なので、強迫観念が何も浮かんでないけど、心配な感じがして、なにか心配しないといけないことはないかな?と探す方もいるのですよね。

    なので、強迫症の治療として、曝露もだいじなのですけど、この身体的にざわざわする感じを落ち着けるということも大事になってきます。

    >→自分としては完璧主義が空回りしてるのかなと思っています。
    >やめようとした際に、完璧にできなくてよいのか?だとか今日は上手くいくかもしれないよ?とよぎったので。

    強迫症の感覚として、「まさにぴったり感覚(Just right feeling)」というものがあります。例えば、手を洗うのは右からと決めていると、左から洗い出すと、「洗えていない」という感覚になります。
    ただ、完璧にできなくてよいのか?というのは、結構、心理的な感覚ではありますね。

    強迫症としては矛盾はないのですけど、結構珍しいと思います。
    強迫行為をしないことで、寂しさのような感覚が浮かんできた という話も考えると、なにか特別な事情が関係しているような気もしますね。

    強迫症は、強迫観念を強迫行為で打ち消すという悪循環はどれも共通なのですが、強迫観念にかかわる感情というのは、かなり人によってバラバラです。不安、嫌悪、ぴったりしない感覚、罪悪感/恥などは多いのですけど、それ以外になると、何らかの特別な事情が関与していることが多い気がするのですよね。
    その筆頭は、トラウマだったりはします。

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