もう少し、きかないとわからないところもあると思いますが、たぶん、強迫行為ではないと思います。
強迫行為の場合、反復するのですね。例えば、天気予報を確認した後に、見落としているんじゃないか?と思い、天気予報を見直すとか、特定のルールを伴ったやり直しが出てくると強迫行為かなと思います。
ASDのこだわりと強迫症の強迫行為が違う点は、ASDは構造化し、ルールを決めると落ち着いてきます。例えば、「雨の日は、こうしようね」と決めるなど。しかし、強迫症の強迫行為は、「もしかしたら…」「万が一…」とリスクが怖くて強迫行為を反復するので、構造化しても症状は改善しません。例えば、「雨の日には、この格好で行こうね」と決めても、「本当にその格好で大丈夫なのだろうか?」と調べたり、質問したりを繰り返します。
認知行動療法の曝露として、ASDの感覚特性を慣れさせていくという方針は、あまり使わないほうがいいい気がします。むしろ、苦手なものはしっかりと避けられるという安心感を持ったほうが、苦手なものに触れられるという発想の方が良い気がします。
この辺り、科学から理解する自閉スペクトラム症の感覚世界/井手正和 という本がとても参考になると思います。
曝露というより、心理的な安心感を持つと、感覚過敏が緩和するという発想のほうが実践的だと思います。