恐らく、多くの人が苦しみを取り除きたい、症状をなくしたいと思うと思います。
この苦痛がなくなればどんなにいいだろう。
この苦しみのせいで、どれだけ人生を無駄にしてきたのだろう。
このような気持ちが出てくることは当然の心理だと思います。
もし、そのような状況にいる時に、目の前に「絶対治る方法」というものがあればどうでしょうか?
もちろん、その方法に飛びつくでしょう。
これも、当然の心理だと思います。
しかし、その「絶対治る方法」を実践して、少しは調子が良いけれど、まだ治らない。
どうしたらいいんだと思っていると、今度は「今までとは違う新しい治療法」というものが目に止まります。
自分の苦しみから逃れたい、この苦しみから逃れられれば…と思って新しい治療法を実践しようとするでしょう。
するとどうでしょう。世の中には、新しい治療法というのは非常に沢山あるのです。
新しい治療法を試しては、別の方法が気になり、その方法を取り入れてみる…。
そんなことを繰り返してしまいそうです。
認知行動療法やEMDRは、そんな「新しい治療法」、「絶対治る治療法」として考えられることがあります。
しかし、残念ながら魔法のような治療法ではないのですね。
弁証法的行動療法の中には、ウィリングネス(willingness)とウィルフルネス(willfulness)という言葉で、同じような解説があります。
病気を良くしよう、病気をコントロールしよう、最良の方法を探し求める姿勢をウィルフルネスといいます。
一方、病とともに生きよう、良くなることをあきらめよう、いまの自分を受け入れようという姿勢をウィリングネスといいます。
認知行動療法という方法の体系の中にこのような概念が出てくるというのは非常に面白いことですね。
認知行動療法であるのに、良くなることをあきらめるという理念が出てくるのです。
このウィリングネスはマインドフルネスに繋がっていきます。
弁証法的行動療法では、二つのバランスをとるという視点が非常に多いです。
弁証法(dialectical)という言葉は、弁証法と訳されていますが、統合と訳したほうが良かったと思います。
二つの相反する考えが治療の至る所に出てきて、そのバランスをとることが求められるからです。
ウィリングネスとウィルフルネスに関しては、
病と共に生きようという受容・ウィリングネスと病気を改善しようというウィルフルネスのバランスをとりましょうとしています。
しっかりとして卒業されていく方は、病を受け入れて生活をしています。
例えば、調子が悪い時は症状がぶり返すこともあります。
一方で、症状は改善していくのですね。
症状はよくなるけれど、治療は永遠に終わらない。
という言葉が似合うかもしれません。
方法ばかりを探し求めると、それはそれで苦しいのです。
そういう状況に陥ったときに思い出してみるとよいかもしれません。