強迫性障害の世界:聖域を作って身を守ることが上手くいかない理由

強迫症(強迫性障害)
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聖域とは、不潔恐怖の人が持っているもので、絶対に汚れていないと思っている領域(場所)のことです。多くの場合は、自分の部屋・自分のベッドが聖域になったりします。

しかし、これは人によって違います。自分が大事にしているもので、洗えないものが聖域になりやすいです。

この聖域には、「汚れ」は持ち込ませないという対策をとります。本当に文字通り聖域なわけです。

他の領域から聖域にものや人が移動する場合は、ものを汚さないように、何度も手洗いをしたり、手袋をはめたりする場合もあります。

家の中で汚染のレベルが決まっていて(◯◯の部屋は汚染レベル3等)、汚い部屋から綺麗な部屋に移動する場合は、手洗いやくつ下の履き替えが必要という場合もあります。そして、家の中の最も汚れていない領域が聖域なのです。

さて、このように聖域を持っていると、この聖域内では強迫行為をしなくていいため、心の安定が保てると本人は思います。

むしろ、強迫行為を満足に行えないために聖域を作り出すのです。この状態までくると、3時間の手洗いや洗い物等はざらに出てくると思われます。世の中が汚すぎて洗う時間が足りないために、綺麗な空間に閉じこもってしまえば、洗わなくてすむという考えです。

しかし、この聖域というのは、不慮の事故で狭まってしまうのです。例えば、洗ったかどうかわからないものが聖域に置かれていると、不安になってしまい、それが触れた場所が汚染されたような感覚になり、聖域が狭まってしまうということはよく起こります。

聖域の中では、常に汚れがないように監視をしないと行けないわけです。そのため、非常に神経を使います。同時に、聖域に縛られた生活をおくるために、非常に行動上の制約がかかります。強迫行為にかかる時間は減っていきますが、強迫観念のような「汚れていないか?」ということにたえず気を使っていくのはとても辛いです。

一度、領域を狭めてしまった聖域が広がる人はめったにいません。治療が進めば行動範囲が広がるために聖域が広がるように見えます。しかし、実際は聖域の存在そのものを消さなければ治療にはなりません。

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