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はじめに
Allan N. Schoreは、過去30年以上にわたり、アタッチメント理論と神経科学を統合した革新的な研究を展開してきました。彼の理論は、特に右脳機能と情動調節の発達に焦点を当て、親子間相互作用の重要性を強調しています。ここでは、Schoreの理論を中心に、親子間の協同感情調節の神経生物学的基盤と、それが子どもの情動発達に及ぼす影響について考察します。
Schoreの理論的枠組み
2.1 右脳優位性理論
Schoreは、乳幼児期の情動発達において右脳が中心的役割を果たすと主張しています。彼によれば、右脳は左脳よりも早く発達し、非言語的コミュニケーション、情動処理、身体感覚の統合などを司ります。これらの機能は、初期のアタッチメント形成と密接に関連しています。
Schoreは、右脳の発達が生後3年間で急速に進み、この時期の親子間相互作用が子どもの脳発達に決定的な影響を与えると考えています。特に、母親の表情、声のトーン、触覚刺激などの非言語的コミュニケーションが、子どもの右脳発達を促進するとしています。
さらに、Schoreは、右脳が「関係性の脳」であると主張しています。右脳は、他者の感情状態を読み取り、それに応じて自己の感情状態を調整する能力の基盤となります。この能力は、協同感情調節の核心であり、生涯を通じて社会的関係性の基礎となります。
2.2 情動調節の神経生物学的基盤
Schoreは、情動調節能力が眼窩前頭皮質、前部帯状回、扁桃体などの右脳領域のネットワークによって支えられていると主張します。これらの領域は、母子間の相互作用を通じて発達すると考えられています。
特に、眼窩前頭皮質は、情動調節の中枢として重要な役割を果たします。この領域は、扁桃体からの情動信号を受け取り、それを調整する機能を持っています。Schoreは、適切な親子間相互作用が、この眼窩前頭皮質の発達を促進し、結果として子どもの情動調節能力を向上させると考えています。
また、Schoreは、右脳の皮質下構造、特に自律神経系の調整に関与する領域の重要性も強調しています。これらの領域は、ストレス反応の調整や身体的な情動反応の制御に関与しており、親子間の協同感情調節を通じて発達すると考えられています。
2.3 関係性無意識
Schoreは、「関係性無意識」という概念を提唱しています。これは、右脳を介した非言語的、無意識的なコミュニケーションを指し、親子間の協同感情調節の基盤となります。
関係性無意識は、従来のフロイト的な個人的無意識とは異なり、対人関係の文脈で生じる無意識的プロセスを指します。Schoreによれば、この関係性無意識は、特に右脳の機能に基づいており、瞬時の非言語的コミュニケーションを可能にします。
親子間の協同感情調節においては、この関係性無意識が重要な役割を果たします。親は子どもの微細な情動的サインを無意識的に読み取り、それに応じて自身の情動状態を調整します。同様に、子どもも親の情動状態を無意識的に感知し、それに同調します。このプロセスは、言語的な意識的処理よりもはるかに速く、自動的に行われます。
親子間協同感情調節の神経生物学的メカニズム
3.1 右脳間コミュニケーション
Schoreは、親子間の協同感情調節が主に右脳間の非言語的コミュニケーションを通じて行われると主張しています。この過程では、表情、声のトーン、身体的接触などの非言語的手がかりが重要な役割を果たします。
Schoreは、この右脳間コミュニケーションが、ミリ秒単位で行われる高速のプロセスであると指摘しています。例えば、母親の表情の微妙な変化が、瞬時に子どもの右脳に影響を与え、子どもの情動状態を調整します。このプロセスは、意識的な認知処理を介さずに行われるため、非常に効率的で即時的な情動調節を可能にします。
さらに、Schoreは、この右脳間コミュニケーションが、親子間のアタッチメント形成の基盤となると考えています。適切な右脳間コミュニケーションを通じて、子どもは安全感と信頼感を獲得し、これが健全な情動発達の土台となります。
3.2 脳間同期
Schoreは、親子間の協同感情調節において、両者の右脳活動が同期することを指摘しています。これは、研究によっても支持されています。例えば、Zhangら（2018）は、カウンセリングセッション中に、カウンセラーとクライアントの右側頭頭頂接合部（rTPJ）の活動が同期することを報告しています。
この脳間同期は、親子間の情動的な絆を神経生物学的レベルで表現したものと考えられます。Schoreは、この同期が強いほど、親子間の情動調節がより効果的に行われると主張しています。特に、ストレス状況下での同期の程度が、子どもの情動調節能力の発達に重要な影響を与えると考えられています。
また、Schoreは、この脳間同期が発達とともに変化することを指摘しています。乳児期には、親の脳活動が子どもの脳活動を主導する形で同期が生じますが、発達に伴い、より相互的な同期パターンへと変化していきます。この変化は、子どもの自己調節能力の発達を反映していると考えられます。
3.3 自律神経系の同調 Schoreは、親子間の協同感情調節が自律神経系レベルでも生じることを強調しています。例えば、母親が乳児を抱くことで、両者の心拍や呼吸が同期することが知られています。この生理的同期が、情動調節の基盤となると考えられています。
Schoreは、この自律神経系の同調が、特に初期の親子関係において重要であると主張しています。母親の落ち着いた生理状態が、子どもの自律神経系を安定化させ、これが情動調節の基礎となります。
さらに、Schoreは、この自律神経系の同調が、トラウマからの回復や心理療法の効果にも関連していると指摘しています。セラピストと患者の自律神経系が同調することで、患者の情動調節が促進される可能性があります。
協同感情調節の発達的変化
4.1 乳幼児期
Schoreによれば、生後最初の1年間は、右脳の発達が著しい時期であり、母子間の非言語的相互作用が特に重要です。この時期の適切な協同感情調節は、子どもの情動調節能力の基盤を形成します。
Schoreは、この時期の母子間相互作用を「情動的コミュニケーション」と呼び、その重要性を強調しています。母親の表情、声のトーン、触覚刺激などが、子どもの右脳発達を直接的に促進すると考えられています。
特に、Schoreは、「情動調律」（affect attunement）の概念を重視しています。これは、母親が子どもの情動状態に合わせて自身の情動表現を調整するプロセスを指します。適切な情動調律を通じて、子どもは自身の情動を理解し、調整する能力を獲得していきます。
さらに、この時期の協同感情調節は、子どもの神経内分泌系の発達にも影響を与えます。Schoreは、適切な母子相互作用が、子どものストレス反応系（視床下部-下垂体-副腎軸）の適切な発達を促進すると主張しています。
4.2 幼児期から児童期
この時期には、言語能力の発達に伴い、左脳も情動調節に関与するようになります。しかし、Schoreは、右脳の無意識的プロセスが依然として重要であることを強調しています。
Schoreは、この時期に「共同注意」（joint attention）の能力が発達することを重視しています。これは、親子が同じ対象に注意を向け、その経験を共有する能力を指します。この能力の発達は、子どもの社会的認知と情動調節能力の向上に寄与します。
また、この時期には、親による「情動コーチング」（emotion coaching）が重要になります。Schoreは、親が子どもの情動を言語化し、適切な対処方法を教えることで、子どもの情動調節能力が向上すると主張しています。ただし、この過程においても、非言語的な右脳間コミュニケーションが基盤となることを強調しています。
4.3 思春期・青年期
Schoreは、思春期においても右脳間コミュニケーションが重要であると主張しています。この時期の親子関係の質が、青年の情動調節能力や精神的健康に大きな影響を与えます。
思春期には、前頭前皮質の発達に伴い、より高度な情動調節能力が獲得されます。しかし、Schoreは、この発達過程においても、右脳を介した親子間の非言語的コミュニケーションが重要な役割を果たすと考えています。
特に、ストレス状況下での親子間の協同感情調節が、青年の情動調節能力の発達に大きな影響を与えるとSchoreは主張しています。親が青年の情動状態に適切に応答し、支持的な環境を提供することで、青年の自己調節能力が向上します。
また、Schoreは、この時期の親子関係が、青年の対人関係スキルの発達にも重要な影響を与えると指摘しています。親子間の協同感情調節の経験が、友人関係や恋愛関係における情動調節の基盤となるのです。
臨床的示唆
Schoreは、心理療法においても右脳間コミュニケーションが中心的役割を果たすと主張しています。治療者の共感的応答性や非言語的コミュニケーションスキルの重要性を強調しています。
また、 Schoreは、早期の関係性トラウマが右脳の発達に深刻な影響を与えることを指摘しています。トラウマ治療においては、言語的介入だけでなく、非言語的、身体的アプローチの重要になるのです。
協同感情調節を促進する要因
Schoreの理論に基づくと、以下の要因が親子間の協同感情調節を促進すると考えられます：
親自身の情動調節能力： Schoreは、親自身の情動調節能力が子どもとの協同感情調節に大きな影響を与えると指摘しています。親が自身の情動をうまく調節できることで、子どもの情動にもより適切に対応できるようになります。
非言語的コミュニケーションの質： Schoreは、表情、声のトーン、身体的接触などの非言語的手がかりが協同感情調節において重要な役割を果たすと述べています。親が子どもの微細な情動的サインに敏感に反応し、適切な非言語的反応を返すことで、効果的な協同感情調節が促進されます。
情動調律（Affect Attunement）： Schoreが強調する情動調律は、親が子どもの情動状態に合わせて自身の情動表現を調整するプロセスを指します。適切な情動調律は、子どもの情動を理解し、調整する能力の発達を促進し、効果的な協同感情調節につながります。
タイミングの良い応答性： Schoreは、親の応答性、特にそのタイミングの重要性を強調しています。子どもの情動的ニーズに対して、適切なタイミングで応答することが、効果的な協同感情調節を促進します。
安全なアタッチメント関係： Schoreによれば、安全なアタッチメント関係は協同感情調節の基盤となります。親が一貫して応答的で信頼できる存在であることが、子どもの情動調節能力の発達を促進します。
身体的同調： Schoreは、親子間の身体的同調、特に自律神経系の同調が協同感情調節を促進すると主張しています。例えば、抱っこやスキンシップを通じて心拍や呼吸のリズムを合わせることが、効果的な協同感情調節につながります。
共同注意の促進： Schoreは、共同注意の能力が協同感情調節を促進すると考えています。親子が同じ対象に注意を向け、その経験を共有することで、情動の共有と調節が促進されます。
情動コーチング： Schoreは、親による情動コーチングの重要性を指摘しています。子どもの情動を言語化し、適切な対処方法を教えることで、子どもの情動調節能力が向上し、より効果的な協同感情調節が可能になります。
ストレス状況下での支持的環境： Schoreは、特にストレス状況下での親の支持的な態度が、効果的な協同感情調節を促進すると主張しています。親が子どものストレス反応を適切に調整することで、子どもの情動調節能力が向上します。
右脳機能の活性化： Schoreは、右脳機能の活性化が協同感情調節を促進すると考えています。例えば、創造的な遊びや芸術活動を通じて右脳機能を活性化させることが、より豊かな情動的コミュニケーションと協同感情調節につながる可能性があります。
結論
Allan N. Schoreの理論は、親子間の協同感情調節を理解する上で非常に重要な視点を提供しています。特に、右脳機能と無意識的プロセスの重要性を強調した点は、従来の認知中心のアプローチを補完するものです。
Schoreの理論に基づけば、親子間の協同感情調節は、単なる行動レベルの現象ではなく、神経生物学的な実体を持つプロセスです。右脳間の非言語的コミュニケーションと自律神経系の同調を通じて、親子は互いの情動状態を調整し合い、子どもの情動調節能力の発達を促進します。
この理論的枠組みは、臨床実践にも重要な示唆を与えます。特に、非言語的コミュニケーションや身体的アプローチの重要性を強調している点は、従来の言語中心の介入方法を見直す契機となるでしょう。
参考文献
Zhang Y, Meng T, Hou Y, Pan Y, Hu Y. Interpersonal brain synchronization associated with working alliance during psychological counseling. Psychiatry Res Neuroimaging. 2018 Dec 30;282:103-109. doi: 10.1016/j.pscychresns.2018.09.007. Epub 2018 Sep 28. PMID: 30292535.
Schore, A. N. (2021). The interpersonal neurobiology of therapeutic mutual regressions in reenactments of early attachment trauma. In E. Siegel, A. Schore, & L. Cozzolino (Eds.), Interpersonal Neurobiology and Clinical Practice. W. W. Norton.
