PTSD は、DSM-5においてA基準がマイナーチェンジされた。
A基準とは、PTSDになりうる外傷体験についての基準だ。
以下は、A基準の抜粋(成人)
A.実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事への、以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の形による曝露:
(1)心的外傷的出来事を直接体験する。
(2)他人に起こった出来事を直に目撃する。
(3)近親者または親しい友人に起こった心的外傷的出来事を耳にする。家族または友人が実際に死んだ出来事または危うく死にそうになった出来事の場合、それは暴力的なものまたは偶発的なものでなくてはならない。
(4)心的外傷的出来事の強い不快感をいだく細部に、繰り返しまたは極端に曝露される体験をする(例:遺体を収集する緊急対応要員、児童虐待の詳細に繰り返し曝露される警官)。
注:基準A4 は、仕事に関連するものでない限り、電子媒体、テレビ、映像、または写真による曝露には適用されない。
この基準をみて、ふと思うのは、パワハラはPTSDにならないの? と思うかもしれない。
DVもPTSDに該当するかどうかは、暴力のないようによる。
いじめは、どうなんだ?と思うかもしれない。
PTSDのこの基準Aは、DSM-IVに比べて狭くなったそうだ。
それは、この基準に該当しない外傷体験では、多くの場合PTSDとは経過が違うために、PTSDではなないことにしようとしたためだと言われる。
ちなみに6歳以下の場合は、以下のようになる。
A.6歳以下の子どもにおける、実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事への、以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の形による曝露:
(1)心的外傷的出来事を直接体験する。
(2)他人、特に主な養育者に起こった出来事を直に目撃する。
注:電子媒体、テレビ、映像、または写真のみで見た出来事は目撃に含めない。
(3)親または養育者に起こった心的外傷的出来事を耳にする。
これには、小さい頃に大事な人を失ったり、DV暴露、虐待も含まれる。
このPTSDのA基準に該当しないならば、PTSDではないか?と言われれば、PTSDではないと考えられる。しかし、トラウマではある。
これは、治療上、重要な意味を持っているかもしれない。というのも、CBTにしろ、EMDRにしろ、PTSDに対して治験を行なっているからである。
PTSDに該当しないトラウマに、これらのエビデンスがあるかは、まだ分からないと思う。
もし、そのような知見を知っている方がいれば教えて欲しい。
実際の臨床の感覚からすると、PTSDに該当しなくともEMDRは、ある程度の守備範囲を持っていると思われる。例えば、複雑性悲嘆や、複雑性PTSD等に関しては、PEだと少し厳しいんではないかと思う。これに関しては、複雑性悲嘆に対するCBTのプロトコルやSTAIR&NSTなどのプロトコルが出ている。
また、いわゆる。トラウマの後遺症として、知っておく必要があるのが、新しく付け加えられた、D基準である。
心的外傷的出来事に関連した認知と気分の陰性の変化。心的外傷的出来事の後に発現または悪化し、以下のいずれか2つ(またはそれ以上)で示される。
(1)心的外傷的出来事の重要な側面の想起不能(通常は解離性健忘によるものであり、頭部外傷やアルコール、または薬物など他の要因によるものではない)
(2)自分自身や他者、世界に対する持続的で過剰に否定的な信念や予想(例:「私が悪い」、「誰も信用できない」、「世界は徹底的に危険だ」、「私の全神経系は永久に破壊された」)
(3)自分自身や他者への非難につながる、心的外傷的出来事の原因や結果についての持続的でゆがんだ認識
(4)持続的な陰性の感情状態(例:恐怖、戦慄、怒り、罪悪感、または恥)
(5)重要な活動への関心または参加の著しい減退
(6)他者から孤立している、または疎遠になっている感覚
(7)陽性の情動を体験することが持続的にできないこと(例:幸福や満足、愛情を感じることができないこと)
強いトラウマを経験すると、すぐに自分が悪いと思ってしまう癖のようなものがついてしまう。
また、安全ではないと怖くなるような感覚がある。
このD基準は、心理療法によって最も改善する部分であると言われる。
逆に、臨床的に感じるのは、改善しにくいのはフラッシュバッグに代表されるような再体験だと思う。
しかし、ここで誤解してほしくないのは、再体験がなくならないから、治療が役に立たないと思わないで欲しいことだ。
例えば、テレビのCMやコマーシャルのフレーズを思い出してみて欲しい。
この映像やフレーズは、時として文脈に関係なく、侵入的に生じる。
しかし、これといった感情は出てこないと思う。
PTSDないし、トラウマの良くなっている状態の一つはこのような状態になる。
むしろ、フラッシュバックを消したいと思い込んでいる人は、フラッシュバックに固執してしまうあまりに、治療全体として上手くいきにくい印象がある。
小さい頃に、おじいさんやおばあさんが戦争の体験を語っている様子を思い出して欲しい。
悲惨な体験を思い出して、涙を流しながら語る様子がみられる。
これは、フラッシュバックが起こっていると言える。
しかし、おじいさん、おばあさんの多くは、生活の中で怖がったり、自分は駄目だという価値観に苦しめられないで生きている。
これはある意味、PTSDのサバイバーと言える。
そして、記憶は常に上塗りだ。過去の記憶は消せない。消そうとすればするほど、その苦しみは増える。
EMDRもPEも、その記憶にアクセスし、それをつなぎ合わせ、失われていた+の記憶をも思い出してもらう。必要によっては、現在に+の出来事を付け加える。
そういう意味では、両者は非常に近い位置にある。