今回は、トラウマの治療を受ける際に気をつけたいことを少し考えていきたいと思います。なぜ、こんなことを書くのかというと、トラウマの治療の現場では二次被害が実は結構多いのです。そして、そのような二次被害に対する対応を治療を受ける側が知っておくことで防げることが多いと思うからです。
今回の記事におけるトラウマとは、いじめ、DV、虐待などなど全てのトラウマに共通することになります。
そもそもトラウマの治療で何をするのか?
トラウマは、「異常な事態に対する正常な反応」と説明されることがあります。そもそも、トラウマの体験とはそれほどに日常からかけ離れた体験なのです。そのため、人はそのトラウマ体験を乗り切るために、心を麻痺させます。
そして、この「麻痺」がトラウマ体験後も継続します。フラッシュバックとは、自分の体験を思い出して苦しい一方で、その苦しみが言葉にできない、形にできないという形の麻痺が生じます。身体感覚としてのドキドキといった反応に圧倒されて、自分の感情がよくわからないということもあります。このような状態が「麻痺」です。トラウマの治療では、どんな治療であってもトラウマ記憶に少しづつアクセスして、この「麻痺」を整理していきます。
体験に対する反応の個別性を尊重してくれる
例えば、「いじめ」を受けたとして、そのいじめに対する思いとして、「怒り」を感じる人もいれば、「落ち込み」「無力感」を感じる人もいます。ときには、加害者を殺したいという気持ちを持ったりすることもあります。自分が被害にあうことがふさわしいと思う方もいます。
トラウマに対する自分の反応というのはかなり多様です。どのようなトラウマにも、「このように感じるべきだ」というものはありません。治療では、この個別性を尊重してくれる方がよいです。
逆には、「あなたは、✕✕という体験をしたのだから、○○と感じるはずだ」と体験を決めつけてしまう治療者のもとでは、症状が悪くなることがあります。具体的には、「いじめを受けたのだから、加害者に対して怒りを感じないのは、おかしい」「DVを受けているのだから、加害者に対する好意なんてあるえるはずがない」等たくさんあります。
どのような体験にも、「このように感じるべきだ」というものはありません。
治療の方向性・方法を選択させてくれる
トラウマというのは、人生の中でとても大きな体験になります。そのため、非常に力が弱まり、自分がどうしたいのか非常に迷う状態にあります。しかし、そんな中でも、自分が受けたい治療・受けたくない治療、かけてもらいたい言葉、かけてもらいたくない言葉というものが存在します。
治療の現場を考えると、どうしても治療者の方に力があります。そのため、治療者の価値観が治療の方向性を決めてしまうことがあります。例えば、「DVの加害者とは別居し、離婚するべきです」「親とは別居しないと、治療が進められない」などです。
また、治療者が治療方法を決定してしまうことがあります。例えば、「あなたはPTSDなのだから、EMDRを受けなければ良くならない」、「何が起こったかを、話してもらえなければ治療はできない」、「避けていても駄目だ、トラウマに曝露して向き合うべきだ」など色々なことがあります。
このような意思決定が、治療を受ける側の希望であれば、問題はありません。しかし、治療者がこのような価値観を押し付けてしまう場合、その治療は暴力になってしまいます。また、トラウマの中心には、自責感と無力感があります。このような対応をされると、「治療者の意向に従えない自分はおかしい」「自分の苦しみは分かってもらえない」「自分には無理な治療法しかない」と感じてしまうでしょう。
話を止めてくれる
トラウマの記憶というのは、ほっといても次から次に出てきます。自分が話したくないのに想いが溢れてくるのです。しかし、話しすぎるとかえって苦しくなってきます。そのために、ついつい喋りたくないのに喋ってしまって、後でフラッシュバックの嵐になるということも起こります。それでは、治療が進まないどころか、かえって苦しくなってしまいます。
そこで、適度に話を止めてくれる対応、最初から聞きすぎないという対応をしてくれる方の方がよいです。
「話せば整理される」わけではない
一般的なカウンセリングでは、自分の気持ちを話すことで、心が整理されていきます。しかし、トラウマの治療ではしばしば、違ったことがおきます。
感情に圧倒されて、わーっとなくと、感情に圧倒されて、心の整理ができないばかりか、自責感・無力感にかえって苦しむことがあります。時々は、このような感情を発散させる部分があってもよいのですが、それは感情を出しても良いという設定の中で行われる必要があります。
最もよいのは、「ほろほろと泣く」という状態だと言われています。このくらいの感情の強さで自分の体験が話せるように、調整してくれる治療が良い治療になります。
無理に言葉にさせない
トラウマの記憶というのは、様々な感情、考えが詰まっているため、言葉になりません。一つの言葉に集約できませんし、複数の矛盾する気持ちが混ざっているときもあります。
「話す」ということが念頭にあると、どうしても、苦しい気持ちを言葉にしてもらうようにお願いされるかもしれません。確かに、言葉にしていくという作業は必要ではあります。
一方で、その言葉になるまでを一緒に待ってくれる、支えてくれるということがより治療上は必要です。
共感が必ずしもうれしいわけではない
カウンセリングでは、受容と共感と言われるように、基本的には相手の話をきき「苦しかったですね」と気持ちに対して共感するという流れになります。
しかし、トラウマの体験というのは、他の人には経験できない非常に個別的な体験になります。時々、「分かった感じに接してくる人が嫌」という言葉のよく聞きます。
トラウマの渦中では、最も最善の行動を選択したと信じてくれる
トラウマによって生じる苦しみの一つに、「後悔」「無力感」というものがあります。「どうして、あのとき○○してしまったのだろうか」「どうして、あのとき○○しなかったのだろうか」という言葉がずっと頭の中にぐるぐる回ってしまうのです。
その時、自分がやってきたことがその時は最善の方法だったと信じてくれる治療者がよいです。例えば、誰かに命令されて別の誰かを攻撃してしまったとしても、そのときは、その行動が必要であった行動なのだと言ってくれる人です。
逆の対応として、「どうして、そのとき○○しなかったの?」「○○、できたんじゃない?」という言葉があります。このような言葉を言われると、罪悪感・無力感が余計に強まってしまいます。
話を修正できる / 反論の余地がある
トラウマがあると、自分の考えをまとめたり、自分がどういう気持なのかを話すことが苦手になります。同じ様な話をしたり、以前にした話を取り消したり、修正したり、以前の話と全く違った話をすることもよくあります。
また、「○○が苦しかったんだね」と言われた時に、微妙に違ったり、自分では「そこではない…」と思うことがあるかもしれません。
トラウマの治療では、このように話がずれたり、違う方向にいった時に、軌道修正をしてくれる方がよいです。というのも、治療を受けているときは、なかなか自分の気持を話せずに、もんもんとした気持ちだけが残り、次のカウンセリングに影響が出てしまうということがあるからです。