洗浄強迫とは?

強迫症(強迫性障害)
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手洗い・洗浄をくりかえす「洗浄強迫 / 不潔恐怖」

洗浄強迫は、洗浄行為を強迫行為とするタイプの強迫症です。このタイプは、強迫症の中で最も多いタイプになります。苦痛を伴う対象としては、ばい菌、外の汚れ、体液・精液、感染症・血液・HIV、アスベスト・放射能、洗剤などがあります。

強迫行為として多いのは、手洗いを中心とした洗浄行為です。手洗いに、1回に30分程かかる方もいます。入浴、トイレの使用に時間がかかります。1時間以上トイレから出られないこともよくあります。外出時は、トイレが使用できない人も多く、トイレにいかずに往復できる範囲でしか行動できない方も多いです。手洗いなどの洗浄行為の順番は決まっていることがほとんどです。例えば、蛇口をひねって手を洗い、水道の蛇口を洗って、更に手を洗って蛇口を締めて終えるなどです。この順番を入れ替えると洗えていないという感じがあり、もう一度洗い直したくなります。また、血液、放射能などが苦痛を伴う対象になっている場合は、確認行為が強迫行為になっていることもあります。その場合は、新聞等のメディアやインターネット等での情報の検索、放射線測定器を用いての測定などが強迫行為なります。

どちらかと言うと、自分が健康的な被害を受けることを避けたいと思っていますが、他人に健康被害を生じさせることに苦痛を伴う方もいます。

 

 

「汚いもの」と「汚くないもの」のつじつまがあわない

強迫症の当事者とそうではない人とで、「汚れ」に関する感じ方には違いがあるあります。強迫症の方が汚いと感じるものには、そうではない人よりも、個人的な主観が影響しています。語弊を怖れずに言えば、「汚いと思ったものが汚い」ということになります。

例えば、『野良猫には触っても平気だが、外から帰ると手洗いをしないといけない』という現象があったとします。健常な感覚からすれば、野良猫の方が汚かったりしますが、野良猫はかわいいから汚くないと言うようなことを言う方は多いです。そのため、周囲からみれば、◯◯は気にならないのに、××はどうして気になるんだろうと疑問を持たれることが多いのです。これは、むしろ非常に強迫症らしい特徴と言えます。

 

 

汚れが広がる・伝染する

強迫症の中でも不潔恐怖の人は、「汚れ」が広がる・伝染するという感覚を持っている人が多いです。例えば、手洗い前の手で触った場所は、汚く汚染されてしまい、再度洗わないと、きれいにならないという感覚です。そのため、手洗いをしたら、蛇口を閉める前に、蛇口を洗うということが必要になる方がいます。また、外から帰った服には外の汚れが付いており、その汚れが玄関にはあるというような、空気感染をするような感覚を持っている人もいます。中でも多いのが、便に触ったかもしれないという感覚で手に汚れが付いているかも?と考え、その汚いと感じる手で色々な物をさわり、汚れが拡大していく症状です。

このような汚染が広がるという感覚を持っているひとは、「あれも汚染された」「これも、汚染された」という感じで、汚染されたものが広がってしまうため、どんどん行動できる範囲が狭くなり、できる活動が減ってきます。このように汚染を避ける行動を回避行動と呼びます。回避行動が多ければ、汚れないために手洗い・洗浄の行為にかける時間は減ってくることがあります。しかし、頭の中では一日中、「○○は汚いゾーンだからだめだ」「××は、汚いゾーンから持ち込まれたものだ」等考えて暮らすようになっています。言いかえれば、ずっと強迫観念に苦しんでいるのです。

 

安全な場所をつくり汚れを隔離しようとする

安全な場所は、聖域とも呼ばれ、不潔恐怖の人が持っているもので、絶対に汚れていないと思っている場所のことです。多くの場合は、自分の部屋・自分のベッドが安全な場所になったりします。しかし、これは人によって違います。自分が大事にしているもので、洗えないものが安全な場所になりやすいです。この安全な場所には、「汚れ」は持ち込ませないという対策をとります。本当に文字通り安全な場所なわけです。

他の領域から安全な場所にものや人が移動する場合は、ものを汚さないように、何度も手洗いをしたり、手袋をはめたりする場合もあります。家の中で汚染のレベルが決まっていて(◯◯の部屋は汚染レベル3等)、汚い部屋から綺麗な部屋に移動する場合は、手洗いやくつ下の履き替えが必要という場合もあります。そして、家の中の最も汚れていない領域が安全な場所なのです。このように安全な場所を持っていると、この安全な場所内では強迫行為をしなくていいため、心の安定が保てると本人は思います。

しかし、この安全な場所というのは、不慮の事故で狭まってしまうのです。例えば、洗ったかどうかわからないものが安全な場所に置かれていると、不安になってしまい、それが触れた場所が汚染されたような感覚になり、安全な場所が狭まってしまうということはよく起こります。

安全な場所の中では、常に汚れがないように監視をしないと行けないわけです。そのため、非常に神経を使います。同時に、安全な場所に縛られた生活をおくるために、非常に行動上の制約がかかります。強迫行為にかかる時間は減っていきますが、強迫観念のような「汚れていないか?」ということにたえず気を使っていくのはとても辛いです。

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