自閉症スペクトラム障害におけるコミュニケーション障害の私見

自閉スペクトラム症
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○コミュニケーションの中でおこること
コミュニケーションでは、発話をどう理解するか、その発話から発話者が何を考えているかを理解するという過程がおこる。詳しくは、意味論、語用論という視点で整理される。発話者が何を考えているかを考える中で、非言語的な情報も同時に用いている。特に目から発話者の感情を読み取ったり、声のトーンから読み取るということも同時に行われている。これらの情報は、発話者が何を考えているのかを理解する材料として用いられている。また、コミュニケーションでは、常に発話者が何を考えているのかを予想しながら話を聞いている。そのため、自分が何を考え、何を発話しようかと考えている間も、相手が何を考えているかをモニターしている。

○発達障害当事者におけるコミュニケーション上の問題点
場の空気が読めない:場の空気とは、ある集団の中で、大多数の人間が考えている内容か、支配的な立場に立つ人間の考えている内容である(この場合、他の人はその支配的な立場に立つ人間の考えている内容を推測し、それに従おうことが得策だと考えている)。これは、主に心の理論の問題・表情認知の問題が関わっていると考えられる。
話題が広がってしまい、話題がまとまらない・収束しない:これは、心の理論の問題と、シングル・フォーカスの問題があると考えられる。
自分の考えを強固に主張する:これは、こだわり。
曖昧な言葉を理解できない:心の理論と、こだわり。
自分の思っていることを言ってしまう:心の理論によって、失言かどうかを判断すること、シングル・フォーカスや衝動制御からくる発言の抑制の2つが関わっている。
指示されたないようを字義的に受け取ってしまう:これも、心の理論とこだわりの両方が関わっているように感じる。
とても観念的・抽象的な言葉を好む:ある程度、知的に高ければ、厳密に定義できる言葉を用いる傾向がある。より定義がしっかりしている言葉の方が理解しやすいためだと考えられる。そのため、話がとても難しく感じる(定型発達者が直感的に理解できなくなるため)。こだわり。
普通の人が使わない意味で使う言葉を使う:言葉を獲得する過程では、相手がどんな考えでその言葉を使ったか?をモニターしながら覚えていく。そのため、言葉を覚えていく過程で、周囲の人が持っている意味・定義と少しずれた定義で言葉を獲得している当事者がいる。

○コミュニケーションにおける心の理論の問題
自閉症スペクトラム症当事者に心の理論が欠如しているわけではない。自閉症スペクトラム症当事者には、意図的な模倣には問題はなく、意図的ではない模倣が少ないことが分かっている。つまり、「無意識に相手が考えていることをモニターせず、自分の知識・経験によって発話を理解しようとしている。」というのがより正確である。
実際、発達障害当事者は意図的に注目すれば他の発達障害当事者のコミュニケーション上の問題がすぐに分かるし、意図的であれば他人の考えている内容を推測することができる。
会話において、発達障害当事者の発言の論点が不明確になるのは、相手がどう受け取るか?という点に注目せず、自分の経験・知識を話すためにおこる。そのため、話の中心がどんどんずれていくことが生じる。また、自分の経験に注目する際には、シングル・フォーカスが働き、余計に他者が考えていることに関心が払われなくなる。

対応としては、コミック会話、ソーシャル・ストーリーで発話者が考えている内容を考えてもらったり、暗黙のルールを覚えてもらうという方法がある。また、会話の中で鍵となる発言を教えるという方法もある。例えば、「どういうことを意図しているんですか?」「それは、どんな目的でするんですか?」等、相手の意図・考えている内容を明確化するような質問を教えるという方法も考えられる。また、「でも…」と言われた場合は、自分の意見に賛同したくない場合、「だから…」と言われた場合は、相手は自分の意見が間違っており、正したいときに使う言葉である等の接続詞や言い回しの発言を教えるという方法も考えられる。
また、自分の考えを使う時は、Thought Chain(思考の鎖)という方法もある。この方法は、定型発達者に当事者が自分の意見を説明する際に使うと分かりやすいと思う。

○コミュニケーションにおける注意の障害
注意とは、自分のワーキング・メモリ(一次保持記憶)をどのような配分で分配するかという要素がある。定型発達者は、聞きながら、メモをとるとき、その注意の配分を2:8や、8:2と変化させることができる。なおかつ、片方の注意が0になることはない。一方、発達障害当事者は、この注意が10:0か0:10になることが多い。そのため、聞きながら、書くというマルチ・タスクが苦手になる。
コミュニケーションでも、自分の知識・経験、自分が主張したいこと、相手が何を言っているのか考えること、のどれかに集中してしまう。これは、ある程度社会的適応がある発達障害当事者が、自分の琴線に引っかかるネタに対して異様に興奮してしまいその話題において多弁になってしまうことからも分かる。
対応としては、注意の分配ができるようにマルチ・タスクを練習してもらう方法が考えられる。または、マルチ・タスクが生じないように、課題や作業を構造化することが考えられる。
また、発話量が等しくない・ターンテイキングの問題もある。定型発達者のコミュニケーションでは、相手が食いつきそうな話題を考えながら自分のことを話している。ある程度、自分の話をして相手が色々な連想ができる状態になった際に、話し手と聞き手が入れ替わる。話し手と聞き手が入れ替わるには、質問をして入れ替わる場合と、聞き手が自発的に話を始めて入れ替わる場合がある。当事者は、自ら話しだすことは得意だが、質問をすることは苦手になりがち。

○コミュニケーション・思考におけるこだわり
自閉症スペクトラム症当事者におけるこだわりとは、不確定要素・曖昧要素を具体化・明確にする要素と、その明確になったものを維持し続ける要素がある。
目に見えるものは具体的であり、具体化・明確化する必要はない。思考などの概念は、元々が抽象的な存在であり、明確化することは非常に難しい。定型発達者は、明確化することなく、抽象的・曖昧な概念をそのまま処理することができる。しかし、自閉症スペクトラム症当事者では、曖昧な概念を具体化・明確化しなければ、処理できない・理解できないと感じることがあるようだ。例えば、「ちょっとだけ」「あのへんで」「もう少ししたら」等の言葉は、曖昧な言葉であり、その内容は一義的に決まらない。定型発達者は、この曖昧な意味内容を曖昧なまま理解し処理していく。発達障害当事者は、この「ちょっとだけ」「あのへんで」「もう少ししたら」という言葉の意味内容を明確にしたいという欲求にかられ、その欲求が満たされない場合は、その言葉を処理できないという傾向がある。どんな内容が曖昧であると判断されるかの基準は、人によって変わってくる。この曖昧な言葉を処理できないことが、心の理論の問題とは違う。「ちょっとだけ」という言葉は、コミュニケーションの中で、一義的に内容が決まらないことがある。一義的に決まるのに、その言葉から発話者の思考を推測できないならば、心の理論の問題である。
一方、明確になったものを維持し続けるという要素は、規範・ルールを守ろうという姿勢・それを相手に押し付けてしまう、色んな暗黙のルールがあるので分からない(暗黙のルールにも例外が少なからずあるが、例外があることを認められない)という特徴を生む。自分が守るルールを他人が守らなければ怒りを憶える、自分が正しいと思う行動を他人が選択しないとき、その人の行動が理解できないということもありうる。
このこだわりが思考過程にも影響をおよぼす。人が他人の発話を理解する過程では、曖昧なものから直感的に判断し、発話を理解していくのに対し、当事者は、解釈仮説をたて、その中から理論上ありえないものを消していくという方略をとる場合がある。
また、白黒思考・破局視という現象もおこる。少しの失敗・大きな失敗という区別がなく、成功したかしなかったかという2つに1つの判断にしかならない。
感情というのは、とても曖昧なものである。怒り・不安・落ち込みといった感情は、どういうものかは究極には直感的にしか分からない。曖昧なものを理解できないという傾向は、そのまま自分自身の感情を掴みづらいという傾向に繋がる。あるプログラムに参加することを拒む当事者は、色々な理屈で参加することが役にたたないということを説明するが、その背景にある対人的な不安・緊張に気がついていないように思われた。突き詰めれば、論理的な矛盾が生じる。

対応としては、2つの方略が考えられる。1つは、曖昧さに慣れていくことである。しかし、これは当事者の大きな苦痛を伴うため推奨されない。もう1つの方略は、段階を設定することだと考えられる。例えば、レベル1の失敗、レベル2の失敗などのように、具体的に段階を設定してもらう。
一度身についてしまったルール・規則を変えられずに困る場合は、新たな規則を付け足すようにする。例えば、「学校の授業中は静かにする」というルールがある当事者が、先生が用事でいない場合に、他の児童が騒ぐことを注意してしまう場合、「(先生がいる場合は)学校の授業中は静かにする」「(先生がいない場合は)、お話をしてもよい。」というルールがあるといい。(ソーシャル・ストーリーにもこのような要素があると考えられる。)。フローチャート化すると視覚的にも分かりやすい。適応的な発達障害当事者は、場合分けをしっかりしており、適応的な行動を身に着けている。

○支援の中で必要なこと
少数派=正しくないという図式ではないこと。多数派に合わせなさいではなく、「多数は、このように考えている。」ということを知れば、少し生活がしやすくなるという視点。自分が考えていることが、間違っている・正しくないと考える当事者がいる。実際に、非難を受けながら生活をしているので、間違っている・正しくないと捉えてしまうのは無理もないが、実際には少数派=間違っているという図式は正しくない。
当事者は、相手から悲観的なことを言われ場合に、それが自分のミスに起因することなのか、相手が単に感情的になっているのか判断するのが難しい。結果的に、相手の反応に常にビクビクして気を使ってしまうようになる当事者もいる。
定型発達者の世界に慣れるというやり方は正しくない。当事者の言葉・価値観で定型発達者の世界を説明するだけでも、大分違う。
感覚を共有できる仲間を見つけること。発達障害当事者は、空気を読めないのではなく、空気を読めないと気がついているから、余計に気を使って苦しんでいる場合がほとんどであると思われる。そのため、気を使わなくて話せる仲間が必要だと思われる。アスペモードで話せる人をなんとか探す。
台本や文章をみて理解することと、ロールプレイをみて理解すること、実際に自分が行動をとれることの間には、解離がある。その為、最終的にはロールプレイが必要になる。

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