マインドフルネスは、自分の現在の感情・思考に気がつき、ありのままに受けとめ、現実に注意を向けている状態を言う。
マインドフルネスの専門的な解説は、色々な書籍が出ているので、ここでは自分なりに思うマインドフルネスについて解説する。
マインドフルネスとは、何か? とよく聞かれるが、一言でいうことは難しい。というのも、書いてある本によって微妙に定義が違うからだ。一言で言うならば、『自分の心を観察し続けること』だと言える。
こう話すと、よく「私は、自分の心の状態は分かっています」と、「苦しみは分かっています」と言われる。確かにそうだ。しかし、こういう時、「この苦しみから逃れたい」という心の動きにも注意を払う必要がある。
感情は、連鎖を生み出す。例えば、過去の嫌な思い出を思い出して、「あんな思いは、もうしたくない」と思い、落ち込み、「これくらいのことで10年近くも悩んでいるなんで、なんてだめなやつだ」と怒りが湧いてくるかもしれない。このように、心は移り行き、色々な価値観感情が連鎖していることが通常だ。
このそれぞれの感情・思考を拾っていくことが大切になる。この時、「こんな気持ちを持ちたくない」「こんな考えをもつべきではない」等、自分の気持ちを否定する気持ちが出てくるときがある。その場合は、最初の気持ち、次に出てくる気持ちとして二つ心に止めておく。この時、苦しくなるのはどちらか一つの気持ちだけを取っておこうとしてしまうことだからだ。
これは、「どうしてこんな気持が生じるのだろうか?」と自分に問いかけ続けていく作業だ。「なぜ、テレビのワイドショーをみるとイライラするのだろうか?」→「あー、みんな色々言うくせに、他人ごとのように切り捨てていく感じにイライラするのか…」→「他人ごとのように切り捨てていくのをみるとイライラするのはなぜか?」→「自分は、人との繋がりを大切にしたいと思っているから、大切にしていない人をみるとイライラするのかも」→「なぜ、悲しいではなくて、イライラなのか?」→「それで、傷つく人がいるとかんがえるからかなぁ」→「傷ついている人をみるとイライラしてくるのは?」→「なにか、助けてあげなければ…という気持ちが出てくるから…」などのように、気持ちを観察していく。
このとき、重要なのは観察する以外のことをしてはいけないということだ。自分の考えに言い返したり、そんな気持ちはないだろうと自分の小さな心の動きを否定したり、何かで紛らわそうとしないようにする。
これは、認知行動療法で言えば、曝露反応妨害法に似ている。自分の気持ちに触れ続けて、自分の気持ちから逃げないようにするとも言える。
また、穏やかな感心を向けるというのもポイントだ。時々、「なんで、こんなに苦しいの!?」と自分を責めるような関心を向ける人がいる。自分という人間の仕組みを、興味をもって眺めるように行う。
さて、このようなマインドフルネスは、どのように練習するかということだが、まずは外的な刺激に注意を向けるサマタ瞑想から練習するとよいと仏教では言われる。ちなみに、マインドフルネスはヴィパッサナー瞑想とほぼ同一のものだ。
サマタ瞑想では、自分が感じている五感のものに触れた時の、感覚に注意を向けるようにする。例えば、干しぶどうを手にとって、その触れた感触、どのように見えるかなどを観察し続ける。もし、その間に別のことを考えてしまっても、それに気がつき、また観察を続けていく。
時々、自分の気持ちが分からない、何も浮かばないから観察できないと言う人に出会う。そのときは、このサマタ瞑想を練習すると良い。これは、一つには受信の練習とも言える。
十分に干しぶどう等の動かない対象物で練習した後、ボディスキャンやマインドフル・ウォーキングのようにもっと対象を広げたり、動作をとっている時の自分について観察を行う。
その後、マインドフルネスな瞑想を行う時間を取る。マインドフルネスな瞑想は、上に書いたように、自分の観察をし続ける時間だ。練習の際には、ヴィパッサナー瞑想の練習では、一日中等するようだ。
ただ、これはあまり実生活向きではないので、1日中の中で空いた時間にマインドフルネス瞑想を行うとよいと思う。例えば、電車にのっている時、座って休憩をするとき、何かのあいまにたったまま5分程度などなど…。これを行えば、何かをしている最中もマインドフルネスな状態でいられるようになってくる。言葉を変えれば、冷静に慣れる。
感情面が一番揺れ動くのは、対人場面だろう。この対人場面で、マインドフルネスな状態に少しでもなれれば、とてもうまくいっていると言える。
例えば、会議中の誰かの発言に、少し傷ついたりイライラして、反射的に言い返すということはせずに、自分のイライラを受けとめて、自分の気持ちをしっかりと伝えるという生産的な行動がとれるようになると考えられる。
このマインドフルネスに対する注意としては、幼少期の虐待、解離症を伴う場合は、心の安定化を先にした方がよいと考えられる。というのも、マインドフルネスはとても高度なストレス対処方法であり、幼少期の虐待を受け、現在に安心感が持てない場合は、先に心の安定できる場所を作ったほうが良い。