よく、患者さんに認知行動療法(エクスポージャー)の説明をすると、「そんなに嫌なことなら、常にさらされています。」と言われます。
しかし、上手くいっていないことも多くあるのです。以下に、よくある例を紹介します。
◯強迫行為はがまんしているが、エクスポージャーをしていない
これも、よくあります。エクスポージャーは、究極には自分が苦手とするものに直面しなければいけません。これをせずに、手洗いの回数を減らす、確認の数を減らすというのは、治療の経過としては良いですが、エクスポージャーを真にしていることにはなりません。
◯後で強迫行為をしている
これもよくあります。1回、エクスポージャーをすると決めたら、理想としては3時間は最低やらなければ意味はないです。少なくとも1時間です。これ以前に手洗い・確認を行なっている場合は、その行為は暴露儀式妨害法にはなりませんし、むしろ強迫性障害を悪化させてしまいます。
治療後に家に帰ってお風呂に入るからいいやと思った瞬間に、それは暴露儀式妨害法ではなくなってしまいます。
◯順番を守っている(回避をしている)
これは、確認強迫の人が良くしている落とし穴です。例えば、忘れ物をしていないか気になる人が、外でバックにものを入れて立ち去るというエクスポージャー課題を行なったとします。
その場合、バックにものをいれる順番を決めている場合があります。そうして、「この順番で必ずいれるから、見落としがないはずだ」と心のどこかで安心している場合です。
これは、実際にセラピストが治療場面に立ち会うとすぐに解りますが、本人は日常生活で気をつけないと、いつの間にかはまってしまいます。
例えば、手を洗う際の順番が決まっている人、家をでる際の戸締まりの順番が決まっている人、これらは危険です。これらを回避するためには、時々は手順を入れ替えることが必要です。
また、もっと大きくは、生活をなるだけ固定化させない方が良いのです。
例えば、毎日のスケジュールが決まっている方は、落し物があってもすぐに見つかるようにスケジュールを決めているかもしれませんね。
◯どこかで、加減をしている。
患者さんにエクスポージャーをしてもらうと、セラピストが同伴すると、加減をしていることが見抜けますが、自分でやるとどこかで「ここまではしなくても…」と加減をしている場合があります。
特に、健常な人はここまでしないから…と、言い訳をする人は要注意です。私が最初に行動療法をならった先生は、どこかにそういう風潮を持っていました。エクスポージャーに負担があってはいけないと叩き込まれました。
たしかに、不安階層表のどこから認知行動療法を始めるかは非常に大事です。しかし、自分が最も避けているものにエクスポージャーをしなければ、再発のリスクは非常に高まります。
例えば、トイレで不潔恐怖が起こる場合、Foaは、便座の上においた食べ物を食べるようなことをする、便がついた紙をバックに入れるまでしなさいと言っています。そこまでしなかった場合、再発のリスクが上がることをFoaは研究的に示しています。
実際、このような強烈なエクスポージャーをしなくても、ある程度は治ります。しかし、多くの強迫性障害は、その状態を維持できません。そう、ある時から、妥協を始めるのです。
例えば、ある時に、「便座は拭いてから座っている」と聞いたら、この基準に合わせるでしょう。しかし、強迫性障害患者にとって、この不潔を取り去ろうとするいかなる行為も強迫行為となります。そして、この強迫行為を行うと症状は、一歩悪化の方に傾くのです。
これは、補足ですが、強迫性障害の方は、汚染された感覚が苦痛なのであり、実際に汚染されているかどうかは関係ありません。
◯変な保証がついている
これは、治療者や治療補助をしている家族に多い間違いです。例えば、「洗わなくても大丈夫!だからやってみよう!」とか、「確認しなくても、平気だよ」等の声かけを行い、本質的な暴露儀式妨害法になってない場合です。
特に、医師による暴露儀式妨害法では、「これは医療上推奨される手洗いだ」等のことをぼろっと言っているような印象をうけます。看護師さんもよくいいます。
健常者は、綺麗・汚いの区別を維持できますが、強迫性障害の方は、まずこの境目を維持できません。なので、このように説明をうけると、つい普通のやり方は…とか、正しい手洗いの仕方は…と考えてしまい、泥沼に陥ります。
暴露儀式妨害法の終着点は、「全てが汚れてしまった」「確認しなくてとんどもないことがおこった」という状態です。「手を洗う必要がないことを実感する」という説明書きは、嘘だと思ったほうがいいです。強迫行為は、すでに本来の行為の目的を見失っている儀式なんです。手を洗う必要がないことは実感できません、「手を洗わなくても気にならなくなった」が正しい実感です。
◯綺麗・汚いを判定している。 (大丈夫・大丈夫でないを判定している)
これは、認知的回避の一つになります。これも多いです。例えば、床に触れるというエクスポージャーをした場合に、廊下の床は汚い、部屋の床は綺麗だから大丈夫などのように、綺麗・汚いの境界線が決まっている人がいます。もしくは、エクスポージャーをした後で、このように意味付けをする人がいます。
この場合、エクスポージャーがとてもあっけなくできてしまう場合があります。しかし、それは落とし穴です。他にも、黒い点は汚いが、点がなければ汚くない。先生と一緒にいると大丈夫、先生が指示したことだから安全だろうというのも同じ種類の回避になります。
この綺麗・汚いの判定を無意識にしている人もいます。例えば、何気なく患者さんにポケットから消しゴムを出して、これを触って下さいというと、「これは、どこから出てきたものだろうか?」「綺麗なものなのか?」と一瞬考えている様子が分かる時があります。中には、「先生、これはどこにあったものですか?」と訊いてきたりします。
日常生活では、このような綺麗・汚いの区別をとりさっていく必要があります。最近では、この方法を水抜きと呼ぶ場合があるようです。例えば、汚れを全部に広げる。どこでも、大丈夫でない状況を作るという感じです。
◯認知的回避をしている
認知的回避とは頭の中で起こっている回避です。気を紛らわして、刺激になかなか注意を向けていないという方もいます。これは、実際の治療場面では、上手く刺激対象に注意を向けてもらうように働きかけます。
また、頭のなかで、お祈りをしたり、大丈夫だと言ってみたり、「あと3時間くらいしたら手を洗おう」と考えている場合もあります。その場合も危険です。エクスポージャーは上手くいっていません。
◯繰り返しの時間が足りない
効果を出すには20時間、1日に1時間以上は、エクスポージャーに使うことが推奨されています。エクスポージャーとは、積極的に汚いもの・避けている刺激に直面することです。偶発的に起こってしまう状況はエクスポージャーとは本来いいません。
強迫性障害の方に最初にエクスポージャーを説明する時は、バンジージャンプみたいなものですと言うと分かりやすいかもしれません。