強迫性障害の方の汚いの感じ方と、非強迫性障害患者の方の汚いの感じ方は違いがあるのでしょうか?
強迫性障害の方は、汚いと自分の先入観で判断しています。
語弊を怖れずに言えば、「汚いと思ったものが汚い」ということになります。
そして、この汚いという先入観が入る場合、汚いと判断された物体そのものの特徴はそれほど加味されていないことが多々あります。
例えば、『野良猫には触っても平気だが、外から帰ると手洗いをしないといけない』という現象があったとします。
健常な感覚からすれば、野良猫の方が汚かったりしますが、野良猫はかわいいから汚くないと言うようなことを言う方は多いです。※野良猫の例は架空の訴えです。
そのため、周囲からみれば、◯◯は気にならないのに、××はどうして気になるんだろうと疑問を持たれることが多いのです。これは、非常に強迫性障害らしい特徴と言えます。
強迫性障害患者にとって汚いとは、目の間の物体から生じるものではなく、頭のなかで作られたものなのです。
似たような現象は、実は確認強迫でも存在します。
確認強迫の人も、確認しなければならないと思う内容は、実際のリスクの大きさと一緒になっていないことがあります。
例えば、落し物がないかを気になって後ろを振り返ったり、キョロキョロした方が、危険だったりしますが、確認の方が大切なのです。
強迫行為を儀式行為と表現する場合があります。
強迫行為は、実は、綺麗にする、リスクを減らすという目的をなす行為ではなく、強迫観念を打ち消す行為なのです。
そのため、その行為には既にあった目的は失われ、儀式(意味のない行為)になっているのです。
このように考えれば、少し暴露儀式妨害法をしてみようという気になるかもしれませんね。