どうしても見てしまう~脇見恐怖症

認知行動療法
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脇見恐怖症とは

脇見恐怖症という病気をご存知ですか?

脇見恐怖症という病名は正式な疾患名ではなく、DSMにも診断基準が記載されているわけではありません。そのため、精神科的な病名としては視線恐怖症のうちの1つの群として扱われています。

自分の視線が相手に迷惑をかけてしまっているのではないかと感じることで、人が怖くなってしまう病気です。会社や教室で、電車の中で、すれ違った人と、気がつくと目があってしまっていると感じ、そのために相手に不快な思いをさせているのではないかと不安になってしまう人がいます。漠然と隣り合った人に自分が不快に思われてるのではないかと感じ、それを確認するために見なくてはならないような気持ちになって、見てしまうということに悩む人もいます。

 

自己視線恐怖と他者視線恐怖

同じ対人恐怖症の中の視線恐怖によって苦しむ病気でも、社交不安障害では、自分が他者から見られることによって、異常なまでに恥ずかしいと感じてしまいます(他者視線恐怖)。見られることよって、自分が大きな失敗をするのではないか・人に迷惑をかけるのではないか・笑われているのではないかと感じ、怖くなってしまいます。

これに対して脇見恐怖症では、自分が他者を見てしまうことによって、相手に不快な思いをさせていると感じてしまいます(自己視線恐怖)。脇見恐怖症を抱える患者さんの多くは、その視線はあたかも対象に向かって吸い寄せられるように、自分の視線が他者に向かってしまうと感じているようです。実際に自分が相手を注視してしまうことで、見られた相手から「ジロジロ見ないで」と言われてしまい、自分が見ていたのだと気がつく人もいます。そうした拒絶の体験から、自分が相手をジロジロと見てしまうことで相手に迷惑をかけるのではと、人と接するのが怖くなってしまうのです。

 

自然と見てしまう不思議な症状

この、相手を自然に注視してしまうという症状は、自分の無意識のうちにおこなってしまうものですが、意識せずとも勝手に動いてしまうというような不随意運動的なものではなく、どちらかというと強迫症やチック症の症状のようなものに近いのではないかと思われます。

脇見恐怖症は、症状が進行していくにつれ、次第に相手を見るという行為を避けようとしてしまいます。視線を逸らしたり、目線のやり場について考えるうちに、そのことに注意が向いてしまい自分の目線をどこに合わせるのが良いのか分からなくなってしまったという人もいます。そうして回避を続けることによって、人と関わることそのものが怖くなってしまい、学校や会社、公共の場所などに出向くことが怖くなってしまい、生活全般で苦痛を感じるようになってしまいます。

 

根底に潜むのは自責感

脇見恐怖症を訴える人の症状を伺っていると、その中核にあるものはトラウマ的な要素を含んだものである場合や、社交不安的な問題を含んだ症状である場合など、人によって様々な問題が混在していることがほとんどです。しかし共通して言えるのは「自分が他者に迷惑をかけている」と感じる罪責感が根底にあることです。その罪責感によって自分の行動が異常であると感じてしまったり、つい見てしまうという確認行動や無意識の行動に繋がっているのだと考えられます。

治療では、認知行動療法が多くもちいられていますが、集団療法よりも、それぞれ各人の状態に合わせたカウンセリングに基づいて行う個人療法が効果的であることが分かっています。

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